2007年01月26日
Dir en grey知ってる??
こんにちはranです
今日は僕の大好きなバンドDir en greyについてお話しましょう
彼らは本当に凄い
1996年、Dir en greyの前身となるLa;sadies(Toshiya以外の4人のメンバーが在籍)が結成される。1年の活動期間を経て解散。その後再び京、薫、Die、Shinyaの4人が集まり、Bassに新たにToshiyaを加え、「人間の弱さ、あさはかさ、エゴが原因で引き起こす現象により、人々が受ける様々な心の痛みを世に広める」という意志の元、1997年に結成。
その後すぐに、ヴィジュアル系創世記に東のX、西のCOLORと言われた2大バンドの一方、COLORのボーカリスト、DYNAMITE TOMMYに見出され、彼とEastWestJapanが主宰するインディーズ系新レーベル「ソルフィンステレ」でインディーズデビュー。
初期の頃は、ボーカルの京自身が黒夢のローディーを経験したこともあり、黒服に金髪というファッションや化粧の仕方等に黒夢の影響を強く受けていた。 また、他のメンバーも、それぞれ80年代のバンドに影響を受けている。
インディーズ時代のラストシングルとなる『-I'll-』がオリコンシングルチャートで最高7位に入るという快挙を成し遂げた(それまでのランキング最高記録はXの『VANISHING VISION』の13位、ちなみにこちらはアルバムである)。さらに、インディーズバンド初の日本武道館ライブを行い、これを成功させた。 メジャーデビューの際にはX JAPANのYOSHIKIをプロデュースに迎えたことや、3枚のシングルを同時に発売したことが話題に。この時発売した「ゆらめき」「残 -ZAN-」「アクロの丘」はそれぞれオリコンで5,6,7位を記録。話題のヴィジュアル系バンドとしてミュージックステーションにも出演し「残 -ZAN-」を歌った。が、あまりに過激なパフォーマンスと演出により番組終了後に視聴者、特に子供を持つ主婦などから苦情が寄せられたこともある。これはミュージックステーションが始まる前にクレヨンしんちゃんが放送されていたことと、Dir en greyがトップバッターを切ったがために、そのまま番組を継続してみていた子供が多かったせいでもある。
京はそれまでのヴィジュアル系に無かった強烈なシャウト、デスヴォイス、異様に鼻に掛かった声、ファルセット等を使い、今日のヴィジュアル系ヴォーカルの基礎を作った。またそんな京に魅かれて音楽活動を始めたものも多く、ガゼットのルキ、蜉蝣の大佑、メリーのガラ、など、京を尊敬する者も多い。
初期にはプロデューサーとしてNEW VORGUEのCHIKA、X JAPANのYOSHIKI、ホッピー神山、COLORのTATSUYA等を迎えたが、ポップ色が強くなる事を避けるためセルフプロデュースとなっているが、過激な表現が強くなっていってる事から、フリーウィルの主宰者DYNAMITE TOMMYがプロデューサーという人も多い。
[編集] 『MACABRE』以降
『MACABRE』以降はそれ以前の綺麗系ヴィジュアルではなく、ホラー映画の様なメイクや演出で激しいパフォーマンスを行っている。音楽面でも単なるロックのみならず、ミクスチャー音楽やハードコアパンク、和風なテイストも取り入れるなど、個性的なサウンドを確立している。また、ヴィジュアル面においても、曲のコンセプトに合わせた強烈なインパクトを持つファッションをしていて、メジャーデビュー以降、あまりメイクをしなくなったり、曲調もポップな路線に変更していくヴィジュアル系バンドが多く現れる中でも異彩を放っていた。PVに関してもグロテスクな表現を多用したものが多く、あまりの激しさにレコード会社EastWestJapanやソニーミュージックから規制がかけられたものも少なくない。その過激さゆえに一般のロックリスナーから批判を受けることもあり、2004年に起きたKLACK事件では一部の人間によって”こういう過激な表現が若いミュージシャンに過激な行為を誘発する”と彼らのPVが引き合いに出されてしまうこともあった。 映像規制をかけられた代表的なものには、VULGARに収録されている「OBSCURE」や、「朔-saku-」などがある。 また、ノーカットバージョンはフリーウィルから直接発売されたPV集AVERAGE PSYCHOにて確認できる。また、歌詞の規制があったものは 「GAUZE+1」に収録の「mazohyst of decadence」で、PVの規制もあったが、歌詞のほうも、「奇形児」とオリジナルの歌詞にはあったが、アルバムに収録されている歌詞には「きcage」と歌われており、発売元レコード会社が原曲にノイズを流した。また14thシングル「embryo」の歌詞内容が近親相姦をモチーフにしたものであったためにレコード会社からの要求で急遽シングル用に歌詞を書き換えた。尚、この時規制がかかった歌詞のバージョンは、3rdアルバム「鬼葬」に収録されている。尚、京の詩には虐待が題材となっているものが多く、これらは彼が実体験として幼い頃からの両親(特に父親)の虐待じみた過激なスパルタ教育が元となっているものが多い。
そして、京のライブパフォーマンスには目を見張る物がある。ステージでは「リストカット」「体中を引掻き血を流す」「自ら頬を殴り吐血」「歌いながら自慰的行為」→「口の中を引っ掻き吐血」など音楽性と共に激しさを増してきている。しかしそれだけに彼の肉体・精神にかかる負担は過酷なものであり、セカンドアルバム『MACABRE』発売後のツアー中に突発性難聴を患いツアーを中断(この件が以降の音楽性の変化の一因になっている)、その後も急性扁桃炎などの体調不良でツアーをたびたび中断・中止している。また、ライブ中に自ら後方に倒れこみコンクリートの床に頭部をぶつけ気絶し、病院に運ばれたこともある。
しかしDir en greyは上に挙げたようにライブでは過激なパフォーマンスを行うが、インタビューなどを見ると実際のメンバーは全員真面目で物静かである。特にボーカルの京に至ってはインタビュー等では誰よりも冷静に自分や世の中の事をしっかり見ている人物である。しかしFOOLS MATE等の雑誌のインタビューで棘のある発言をする事が非常に多いので一部のファンや一般のリスナーから批判を受けている。
[編集] 海外での活動
Dir en greyは国内のみならず、海外進出も積極的に行っている。2002年には東アジア4カ国7公演(上海、香港、台湾、韓国など)を含む「列島激震行脚」と題したアジアツアーで述べ10万人を動員し大成功を収めている。ヨーロッパでは、以前よりアルバムがドイツ・フランスで各3万枚の売上を記録していたが、2005年に欧州最大級のロックフェスティバル「Rock am Ring」、「Rock im park」への出演を果たしたことをきっかけにヨーロッパでも本格的にブレイク、フィンランドのヒットチャートで、アルバム『Withering to death.』がランクイン、シングル『CLEVER SLEAZOID』が初登場15位にランクインした。さらに2年連続となる同フェスでメインステージで自傷パフォーマンスを行い、ファンを熱狂させた。同様にドイツでは同アルバム(『Withering to death.』)がチャートで7位にランクインするという快挙を成し遂げた。2006年5月にはアルバム『Withering to death.』(2006年5月24日付、米・ビルボード週間インディペンデントチャート42位。これはラウドネスのアルバム『LIGHTNING STRIKES』(ビルボード・アルバム・チャートで64位)に次ぐ快挙といわれている。)を引っさげ、全米デビュー。そのデビューに先駆けたアメリカでのライブは5000人クラスのライブ会場をソールドアウトさせている。
2006年8月、アメリカのミクスチャーロックバンド・Kornが主催する北米ツアー「THE FAMILY VALUES TOUR」へ参戦。そのKornのヴォーカル、ジョナサン・デイヴィスはDir en greyについて“日本で最高にクレイジーでサイコティックなバンド”と絶賛している。 また同年10月へヴィメタルフェス「LOUD PARK 06 」に出演し、インターネット上で話題を呼んだ(翌日にはヴィジュアル系バンドムックが参加)。
2006年末、アメリカ大手音楽専門チャンネルMTVの人気番組「ヘッドバンガーズ・ボール」で、2005年に新設された視聴者が選定するPV音楽賞(HEADBANGERS BALL PV 2006)に、Dir en greyの『朔-saku-』(2004年発売)のプロモーションビデオが日本のロックバンドの作品として初めてノミネートされ、見事グランプリを獲得した。[1]
2007年には自らがヘッドライナーとしてアメリカを回るツアー「TOUR07 INWARD SCREAM」が予定されており、ニューアルバム、THE MARROW OF A BONEが2007年2月7日にリリース決定。
このようにDir en greyは昨今、海外で最も高い売上を記録している日本のバンドであり、また高い評価も得ている。オリコン調べでは、ドイツ、アメリカ、アイルランドで日本のバンドと言えば、「Dir en grey」という答えが80%を占める程であり、アメリカグラミー賞の公式サイトでも紹介記事が掲載されるなど[2]欧米で現在最も注目される日本人アーティストとなっている。
僕の大好きな盤です☆
聞いてみてくださいね☆
かなり衝撃な部分もありますよ☆
今日は僕の大好きなバンドDir en greyについてお話しましょう
彼らは本当に凄い
1996年、Dir en greyの前身となるLa;sadies(Toshiya以外の4人のメンバーが在籍)が結成される。1年の活動期間を経て解散。その後再び京、薫、Die、Shinyaの4人が集まり、Bassに新たにToshiyaを加え、「人間の弱さ、あさはかさ、エゴが原因で引き起こす現象により、人々が受ける様々な心の痛みを世に広める」という意志の元、1997年に結成。
その後すぐに、ヴィジュアル系創世記に東のX、西のCOLORと言われた2大バンドの一方、COLORのボーカリスト、DYNAMITE TOMMYに見出され、彼とEastWestJapanが主宰するインディーズ系新レーベル「ソルフィンステレ」でインディーズデビュー。
初期の頃は、ボーカルの京自身が黒夢のローディーを経験したこともあり、黒服に金髪というファッションや化粧の仕方等に黒夢の影響を強く受けていた。 また、他のメンバーも、それぞれ80年代のバンドに影響を受けている。
インディーズ時代のラストシングルとなる『-I'll-』がオリコンシングルチャートで最高7位に入るという快挙を成し遂げた(それまでのランキング最高記録はXの『VANISHING VISION』の13位、ちなみにこちらはアルバムである)。さらに、インディーズバンド初の日本武道館ライブを行い、これを成功させた。 メジャーデビューの際にはX JAPANのYOSHIKIをプロデュースに迎えたことや、3枚のシングルを同時に発売したことが話題に。この時発売した「ゆらめき」「残 -ZAN-」「アクロの丘」はそれぞれオリコンで5,6,7位を記録。話題のヴィジュアル系バンドとしてミュージックステーションにも出演し「残 -ZAN-」を歌った。が、あまりに過激なパフォーマンスと演出により番組終了後に視聴者、特に子供を持つ主婦などから苦情が寄せられたこともある。これはミュージックステーションが始まる前にクレヨンしんちゃんが放送されていたことと、Dir en greyがトップバッターを切ったがために、そのまま番組を継続してみていた子供が多かったせいでもある。
京はそれまでのヴィジュアル系に無かった強烈なシャウト、デスヴォイス、異様に鼻に掛かった声、ファルセット等を使い、今日のヴィジュアル系ヴォーカルの基礎を作った。またそんな京に魅かれて音楽活動を始めたものも多く、ガゼットのルキ、蜉蝣の大佑、メリーのガラ、など、京を尊敬する者も多い。
初期にはプロデューサーとしてNEW VORGUEのCHIKA、X JAPANのYOSHIKI、ホッピー神山、COLORのTATSUYA等を迎えたが、ポップ色が強くなる事を避けるためセルフプロデュースとなっているが、過激な表現が強くなっていってる事から、フリーウィルの主宰者DYNAMITE TOMMYがプロデューサーという人も多い。
[編集] 『MACABRE』以降
『MACABRE』以降はそれ以前の綺麗系ヴィジュアルではなく、ホラー映画の様なメイクや演出で激しいパフォーマンスを行っている。音楽面でも単なるロックのみならず、ミクスチャー音楽やハードコアパンク、和風なテイストも取り入れるなど、個性的なサウンドを確立している。また、ヴィジュアル面においても、曲のコンセプトに合わせた強烈なインパクトを持つファッションをしていて、メジャーデビュー以降、あまりメイクをしなくなったり、曲調もポップな路線に変更していくヴィジュアル系バンドが多く現れる中でも異彩を放っていた。PVに関してもグロテスクな表現を多用したものが多く、あまりの激しさにレコード会社EastWestJapanやソニーミュージックから規制がかけられたものも少なくない。その過激さゆえに一般のロックリスナーから批判を受けることもあり、2004年に起きたKLACK事件では一部の人間によって”こういう過激な表現が若いミュージシャンに過激な行為を誘発する”と彼らのPVが引き合いに出されてしまうこともあった。 映像規制をかけられた代表的なものには、VULGARに収録されている「OBSCURE」や、「朔-saku-」などがある。 また、ノーカットバージョンはフリーウィルから直接発売されたPV集AVERAGE PSYCHOにて確認できる。また、歌詞の規制があったものは 「GAUZE+1」に収録の「mazohyst of decadence」で、PVの規制もあったが、歌詞のほうも、「奇形児」とオリジナルの歌詞にはあったが、アルバムに収録されている歌詞には「きcage」と歌われており、発売元レコード会社が原曲にノイズを流した。また14thシングル「embryo」の歌詞内容が近親相姦をモチーフにしたものであったためにレコード会社からの要求で急遽シングル用に歌詞を書き換えた。尚、この時規制がかかった歌詞のバージョンは、3rdアルバム「鬼葬」に収録されている。尚、京の詩には虐待が題材となっているものが多く、これらは彼が実体験として幼い頃からの両親(特に父親)の虐待じみた過激なスパルタ教育が元となっているものが多い。
そして、京のライブパフォーマンスには目を見張る物がある。ステージでは「リストカット」「体中を引掻き血を流す」「自ら頬を殴り吐血」「歌いながら自慰的行為」→「口の中を引っ掻き吐血」など音楽性と共に激しさを増してきている。しかしそれだけに彼の肉体・精神にかかる負担は過酷なものであり、セカンドアルバム『MACABRE』発売後のツアー中に突発性難聴を患いツアーを中断(この件が以降の音楽性の変化の一因になっている)、その後も急性扁桃炎などの体調不良でツアーをたびたび中断・中止している。また、ライブ中に自ら後方に倒れこみコンクリートの床に頭部をぶつけ気絶し、病院に運ばれたこともある。
しかしDir en greyは上に挙げたようにライブでは過激なパフォーマンスを行うが、インタビューなどを見ると実際のメンバーは全員真面目で物静かである。特にボーカルの京に至ってはインタビュー等では誰よりも冷静に自分や世の中の事をしっかり見ている人物である。しかしFOOLS MATE等の雑誌のインタビューで棘のある発言をする事が非常に多いので一部のファンや一般のリスナーから批判を受けている。
[編集] 海外での活動
Dir en greyは国内のみならず、海外進出も積極的に行っている。2002年には東アジア4カ国7公演(上海、香港、台湾、韓国など)を含む「列島激震行脚」と題したアジアツアーで述べ10万人を動員し大成功を収めている。ヨーロッパでは、以前よりアルバムがドイツ・フランスで各3万枚の売上を記録していたが、2005年に欧州最大級のロックフェスティバル「Rock am Ring」、「Rock im park」への出演を果たしたことをきっかけにヨーロッパでも本格的にブレイク、フィンランドのヒットチャートで、アルバム『Withering to death.』がランクイン、シングル『CLEVER SLEAZOID』が初登場15位にランクインした。さらに2年連続となる同フェスでメインステージで自傷パフォーマンスを行い、ファンを熱狂させた。同様にドイツでは同アルバム(『Withering to death.』)がチャートで7位にランクインするという快挙を成し遂げた。2006年5月にはアルバム『Withering to death.』(2006年5月24日付、米・ビルボード週間インディペンデントチャート42位。これはラウドネスのアルバム『LIGHTNING STRIKES』(ビルボード・アルバム・チャートで64位)に次ぐ快挙といわれている。)を引っさげ、全米デビュー。そのデビューに先駆けたアメリカでのライブは5000人クラスのライブ会場をソールドアウトさせている。
2006年8月、アメリカのミクスチャーロックバンド・Kornが主催する北米ツアー「THE FAMILY VALUES TOUR」へ参戦。そのKornのヴォーカル、ジョナサン・デイヴィスはDir en greyについて“日本で最高にクレイジーでサイコティックなバンド”と絶賛している。 また同年10月へヴィメタルフェス「LOUD PARK 06 」に出演し、インターネット上で話題を呼んだ(翌日にはヴィジュアル系バンドムックが参加)。
2006年末、アメリカ大手音楽専門チャンネルMTVの人気番組「ヘッドバンガーズ・ボール」で、2005年に新設された視聴者が選定するPV音楽賞(HEADBANGERS BALL PV 2006)に、Dir en greyの『朔-saku-』(2004年発売)のプロモーションビデオが日本のロックバンドの作品として初めてノミネートされ、見事グランプリを獲得した。[1]
2007年には自らがヘッドライナーとしてアメリカを回るツアー「TOUR07 INWARD SCREAM」が予定されており、ニューアルバム、THE MARROW OF A BONEが2007年2月7日にリリース決定。
このようにDir en greyは昨今、海外で最も高い売上を記録している日本のバンドであり、また高い評価も得ている。オリコン調べでは、ドイツ、アメリカ、アイルランドで日本のバンドと言えば、「Dir en grey」という答えが80%を占める程であり、アメリカグラミー賞の公式サイトでも紹介記事が掲載されるなど[2]欧米で現在最も注目される日本人アーティストとなっている。
僕の大好きな盤です☆
聞いてみてくださいね☆
かなり衝撃な部分もありますよ☆
Posted by ranki at 19:23│Comments(0)
│Dir en grey